伝えたいこと。伝えてほしいこと。

人生をかけて幸せにしたい人がいます。たくさんの愛をくれたあの人にどうしても伝えたいことがあります。またいつか出会う日までの日々を書き続ける、そんなブログ。

何もない今こそ

むかしむかし

ってか1年ほど前に
どん底にいた友人がいました

まぁ、いつもの友達ですけどね
※詳しくは過去のブログ参照


彼女は日々悩んでいました
山へ芝刈りに行っても
川へ洗濯に行っても
ひたすら悩み続けていました

そこへ川上から
ドンブラコ、ドンブラコと

あ、違った




とにかく悩んでました
毎日何のために生きてるかもわからない
何が楽しみかもわからない
どうしたら今の状況から抜け出せるのか
希望も何も見えない状態でした

自分が考えてできることはしてきた
でも、もう自分の力ではどうにもならない
話を聞く私も、どうすることもできない

そんな問題に
唯一私が
これならどうかと提案したことが

「神様にお願いする?」

でした





彼女はふわっと見えないものを信じていました
先祖供養は大事だと思っている人でした
神様もきっといるんだろうなぁーってぐらいに思ってました

でも宗教は嫌いです
彼女は無宗教です
その感覚は私にもわかります
私も宗教に入る前は
神様、仏様とは縁遠い生活をしていましたから



その時初めて、自分が宗教に入ってることを伝えました
伝えるだけならまだしも

「一緒に、お願いしてみる?」

とまで言ったので
正直、どう彼女が反応するかわかりませんでした


宗教に入る時って、大抵困っている時です
じゃないと「神様助けて」ってなかなか思えないもんです
はたからは「弱みにつけ込む」ように見えます
そこに悪意があれば、そうなります





さっきも言ったように、彼女はどん底で藁にもすがりたいほどの思いでいるのがわかります
そこに神様にお願いしてみる?と聞くのは、まさに弱みにつけ込んでいる状態
結果的に彼女は「じゃあ、そうしてみる」と言ったわけですが
「そりゃ、そんなに困ってたらうんって言うに決まってるやん」ってのもわかります




ただ、わたしは勧誘するつもりは一切なかったのです

彼女も言いました
神様はわたしもいると思ってるけど
お願いして、叶ったとしても
宗教には入るつもりはないけどそれでもいい?と



全然いいのです

自由ですから




わたしが信じたいから信じているものを
他の人にまで無理やり信じてほしいとは思いません



ただ、神様がいるという気持ちを持って欲しいとは思っています


だから友達にもお願いしてみたら?と言う話をしたわけです
そうして、もっと知りたい、もっと関わりたいと思って宗教に入るとなったら
それはそれで嬉しいなって思うだけで
ただそれだけのこと


自分が何を信じて何をするかなんて
全部その人の自由ですから





で、藁にもすがる思いの彼女は
神様にお願いしたわけです

そして、事あるごとにお礼に来てくれました



「ちょっと前より気持ちが楽になった」
「少しずつだけど状況が変わってきた」



完全に問題が解決したわけではない状況でも
それでも
彼女はお礼に来ました





以前にブログで「お願い事」と言うブログを4シリーズに分けて書いたんですが
そんな話をその時、彼女にもしていました

神様にはどんどんお願いしたらいいし
お願い事は姿勢が大事で
そのあとの感謝も忘れずに
あとは叶うまで忘れる勢いでお任せする



彼女は私が言うことを
ただ素直に受け取って
行動しました




それからしばらくして、彼女の状況は少しずつ良くなりました

たまたまかもしれません
彼女の努力の成果かもしれません

でも私は神様のおかげだなぁと思います
彼女が本音ではどう思っているかはわかりませんが

でも、それもまた自由です



とにかく、彼女は半信半疑でも行動に起こして
自分の状況を変えました




でも、根本的な部分だけは解決してませんでした







で、昨日
夜にLINEで会話中
彼女は言いました

「そういえば最近、すごい良くなった」
「最初にお願いしたことが叶ってる」
「お礼ってどうすればいい?」



私はびっくりしました

「え、まじ?叶ったやん」って



神様を信じてますって言ってる私がびっくりしてたらダメなんですけど
「えぇ叶ったやーん!?!」
って普通にびっくりしました

あと、お礼のくだりに
「律儀!!!」って思いました



私が宗教に入ってた頃は
お軸がかかってるところで
お願いした時に包んだお金の倍(まぁこれも自由ですけど)ほど包んで
お礼をしました

最初千円包んだなら二千円
五千円包んだなら一万円っていう感じでね


ただ今となっては
私もどうお礼すればいいのかさっぱりです
私も辞めましたから





でも辞めてから思うんです
要は気持ちだと

宗教がなぜ必要なのか
それは知る場として必要なんです
神様がいること
仏様がいること
こういう考えを持とう
こういう法則があるよ
だからこうしていこう

そんな感じ


でも信じる気持ちを持って
人に優しく
思いやりを持って
明るく元気に
先祖を大事にして生きていくような人ばっかりの世の中なら
宗教なんて必要ないんですよね




宗教に入ってなくても
信仰はできるんです


だから、神様のおかげだと思って感謝する気持ちがお礼に繋がると彼女に伝えました

気持ちを、形に表す一つのツールがお金であったわけで
それ以外にも表し方ってあると思うんですよね

彼女が、少しでも神様を信じることができたなら
それは形だと思うのです

神様は何が嬉しいかっていうと
信じる気持ちを持つことじゃないかと

だから、ありがとうって
そう思えることができたなら
それでいいと思います




宗教に入っていた時の方が
感謝の気持ちを形に表すのは簡単でした

お金という形に表せばいいんですから

お参りできる場所があったわけですから

そこへ行けばなんとか形にはなりますから




今何もない状態で、どう形に表すか
それが試されるなと思います



何事にも一生懸命
元気を出して
明るく進むこと




それが私の気持ちの表し方だと

そんなLINEの会話から
再確認し

そして、彼女が叶えた願いは
私に勇気をくれました






頑張って生きてたら
絶対いいことあるはずだって











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