伝えたいこと。伝えてほしいこと。

人生をかけて幸せにしたい人がいます。たくさんの愛をくれたあの人にどうしても伝えたいことがあります。またいつか出会う日までの日々を書き続ける、そんなブログ。

視えないという能力

視える力がほしいと思ったことありますか?
なにがってお化けがです
神様がです
見えない世界がみたいなと思ったことありますか?


私はあります
次男が亡くなった時です
なんでもいいから会いたかった
当時は神様を信じてたわけではなかったですが、お化けはいると思ってました
見えない世界はなんとなくあると思ってました

お化けはもちろん視たくないです
きっと耐えれません
でも自分の息子ならお化けでも怖くないと思いました

が、実際本当に視えるとすごいらしい
怖いってもんじゃないらしい
呪怨に出てくるあの感じ
私見てないんですけどね呪怨
でも一時期話題になったのでわかります
顔面蒼白で目元が真っ黒なんですって
それ聞いて「あ、視えんでよかった」と思いました





それは今でも変わりません


視えるとは特別な能力です
まず、理解されません
頭がおかしくなったと思われるのが大半です

人には昔、第六感まで備わっていたそうです
視・聴・覚・味・触の五感とそして霊感です

元々は神様ばっかりの世界で、第六感まで備わっているのが普通でした
それが進化という退化をして
第六感がなくなったのが今です
ただ、完全になくなったわけではなく
直感や本能などで多少の名残はあるようです


そして、まれにこの第六感がそのまま残ってる人がいます

人によってはその程度が違って
視えるだけとか
聞こえるだけとか
感じるだけとか

ちょっと霊感があるぐらいなら、そこまで変に否定されることもありません
だって大半の人は、どこかしら見えないものを信じてはいるのですから
でもガッツリ見えてしまったり聞こえてしまったりすると変人扱いです
さらに加えていろんなことがあからさまに見えたり聞こえたりすると、人は混乱するようです



例えば
ドラえもんの道具でありました
「ジャストホンネ」

スネ夫が「ついうっかり嘘をついてしまうという自分をなんとかしたい」と相談をした時に、ドラえもんが出した道具です
その薬を飲むと心に思ったことしか話せなくなるというおっそろしい道具

正直者もいいところ
思ったことが全て相手に伝わるなんて
よくもこんな薬を出したなドラえもん
そしてよくこの薬を飲んだなスネ夫
もうその飲むという決意だけで、十分反省していると私は思います

時にドラえもんは残酷です
さすが、ネズミ一匹に世界を滅ぼすミサイルを出すだけのことはあります
「フヒー、ヒ、ヒ、ヒ、ヒ」と言いながらです
よだれを垂らしながらです



そして案の定、薬を飲んだスネ夫のび太の母に
「おばさん、また小じわが増えましたね」
と言い
いつもの空き地でコンサートをするからとビラを配っているジャイアン
「うえ〜あのバカ本気でやるつもりなのか」
という始末

そらそうでしょう
本音ってほんとにしょうもなくてクソみたいなんですから



こんな人の本音が、霊感が備わることによって聞こえるようになったらどうでしょう
いたるところからいろんな声が聞こえてきます
聞きたくもない声が次々に
笑顔でいるあの人も
いつも優しい言葉をかけてくれるあの人も
本音を聞けば、言ったこととは正反対のことを思っているかもしれないんです

これは傷つきますよね
人間不信になりますよね




でも私から言わせてもらえばね
やっぱり人と関わる以上、TPOってもんがあります
言っていい事と悪い事もあるし
タイミングもあるし
つい思っちゃうことなんかたくさんある

言わなくていいこともあるし
知らなくていいことなんかたくさんある

こっちはついこう思っちゃうけど
そこを空気を読んで言わなかったり
いやいや、きっとこうなんだと無理やり思考を転換してみたり
理性で言わなかったりしてることだってあるのに
勝手に頭の中を覗かれたらたまったもんじゃないですよね
プライバシーもなんもないじゃないか

って思います


本音でいることは素晴らしいとおもいますけどね
勝手に本音が聞こえちゃうのは
誰の得にもならない気がします




で、話を戻します




そして、実は視えるものが全てではない場合もあります

どういうことかというと、間違ったものが視えてる時もあるということです


事実ではないことが、事実かのようにその人には視えるわけです
こっちからしたら知らんがなです

明るいの反対が暗いのように
楽しいの反対がつまらないのように
物事には相反するものが対になってついてきます

善の反対は悪です
視えない世界にもいい者と悪い者がいます
神さまにも善と悪があります

悪いものによって、間違った真実をみせられることだってあるのです
そして正しい神さまによっても、意図があって間違ったものをみせられてることだってあるのです

もはや、なにを信じたらいいのかわからない状態
なんでもありやん状態

これじゃあ結局、視えても視えてなくてもなにが本当なのかわからないです
むしろ視えるだけ余計です
いちいちお化けにびっくりしながら生きていかなきゃいけないですから
いらない情報に左右されて生きていかなければならないですから


視える人とは、孤独です
理解されにくく、そして自分も誰を信じたらいいのかわからなくなります

ただ、視えてしまうだけに
視えない世界というものが信じやすくなります
神さまはいるんだと本当に心から思えます




私には全く霊感がありません
直感も本能も鈍そうです
少しでも不思議な体験をできたなら、もっともっと信じやすいのになぁと思う時があります

でも、全く視えない人が
それでも1ミリの疑いなく
視えないものを信じれるなら
きっとそれは、なによりもすごいことなんだろうなと思うんです




視えるというのは能力です
でも視えないというのも能力です





視えない人がどこまで視えないものを信じれるのか
そこにこそ信仰の醍醐味があると私は思います


だから私は死ぬまで霊感なんかいらないです


私の実際の視力も0.3です
本当の目も「そんなに見えない力」を持っています
星空を眺めるとぼやっとして綺麗です
はっきり見えるよりも綺麗に見えてる気がします

でも、よりしっかり星を観察したければ
2.0の視力を持ってた方が役に立ちます

見える力
見えない力
それぞれ、その人にあった力が与えられているんだなと思います



だいたい霊感も、五感にプラスされただけの「感覚」です
もし視えたとしても
それだけで判断せず、その他五感もフルに使ったらいいんです
霊感があるかないかだけで
他に持ってる感覚は、みんなおんなじなんですから




私には見えない力がある

神様のことも
彼のことも
友達のことも
これから関わる人たちのことも

私は、私の感覚で信じたいと思います



私は見えなくたって
見えないものを信じます

そしてそれが、何より尊いことです









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