伝えたいこと。伝えてほしいこと。

人生をかけて幸せにしたい人がいます。たくさんの愛をくれたあの人にどうしても伝えたいことがあります。またいつか出会う日までの日々を書き続ける、そんなブログ。

なんでそんなに苦しまなあかんのや

はい、これ友達の御言葉です
そうです、あの友達です
彼女の昨日のブログの感想は

「釣銭」はレジからお客さんに渡すお金
レジで働くならば投げられるのは「お金」

です

そんな優しい友達からまた名言を頂いたわけです





私は「ただ浮気をしてないことを証明したい」という思いだけを持ってるわけではないのです
今こういう状況なのは、私のせいなのです
浮気云々じゃなくてね
だから罪悪感があります
私だけでなく、彼もまたしんどい状況にあります
いや、私より遥かに彼の方が大変なんです

だからずっと罪悪感を持っています
幸せに楽しく待ってたらダメな気がします
ずっと罪悪感感じて、苦しんで、悩んで
そうやって待つのが償いな気がしています
だから苦しいのも仕方ないと思っています
彼女は毎日ラインをくれます
そこで私はありのままの気持ちを話します
「しんどいっス」
「今日は元気でス」
「ブレまくってます」などなど

もちろんブログを読んでくれてます
前向きな私の想いも知ってます
でもすぐ後ろ向きになる私も知ってます
彼女はついに昨日言いました

「なんでそんなに苦しまなあかんのや」




私は昨日、久し振りにテレビを見てました
お笑いの番組でした
久し振りに関西弁を聞きました
「ふふっ」と笑ってしまいました
そこでハッとなりました

「私普通に笑ってていいんやろか」


で、友達にその話をし

「どうやっても罪悪感は拭えんやろな。そうやって日々葛藤しながら自分の生き方探していかんなんのやろな」

と言いました
彼女の返事はこうでした

「そうか?」
「疑問」
「なんでそんなに苦しまなあかんのや」



私も疑問になりました
「???なんでこんなに苦しまなあかんのや??」
頭からはてなマークがいっぱい出てきます
なんだかよくわからなくなりました
どれが正解で何が間違ってるのかがよくわからなくなりました


「勝手に苦しもうとしてるだけやん」
「はっきり言うで」

「…いや、やめとこ」




気になります
とても気になります
きっと半端ない殺傷能力があるその言葉を
友達は言ってくれませんでした
自分のことはなかなか客観視できないものです
もうこの際ひと思いにぶっ刺して欲しかったのに


いつも私は悩んだ時、シンプルに考えるようにしてます
すると最終的には二択になります

二択を選ぶときに、さまざまな理由を挙げていきます
大抵、恋愛相談についての二択は
「別れたい」か「別れたくない」かです
それぞれ別れたい理由、別れたくない理由を考えます

自分の気持ちはどっちに傾いているかとか、それに伴う環境の変化についていけるかとか、金銭的な問題を考えないといけないこともあるでしょう
理由は人それぞれあります
それを次々挙げていき、はかりにかけ
今自分にとってどっちが比重が大きいかをみるのです

二択にして選んだ後、そのためにはどうすればいいかとまたシンプルに考えて次の行動を決めるのです
これを繰り返すと、今自分がしなければいけないことが自ずと見えてきます




私は待つか待たないかで
待つを決めました

待つのはしんどい
いろんな感情と戦わなければならない
いつ会えるのかもわからない
相手の気持ちもわからない
生きてるか死んでるかすらも

リミットがないというのは辛いです
昔夢で、ひたすら円周率を数え続けるという夢を定期的にみていたことがありました
それはそれは怖い夢でした
だって終わりがないんです。エンドレス
数えても数えても終わることのない恐怖
終わりがみえないというのは恐怖です
やっていることは単調です
出てくる数字を数えるだけ、すごく簡単

でもそこに、意味を求めはじめたり
未来を考えはじめたり
自分の感情がプラスされると、ただひたすら数を数えていることが恐怖になる


でも私は「待つ」ことにしました
何をどんだけはかりにかけても
「待ちたい」重さには勝てません

私の最善は「待つ」

私がしたいことは「待つ」こと

よし、そこまではオッケーです





では次に今悩んでる罪悪感について考えてみます

彼のために、したことを償うために
直接何かをすることはできません
会えませんし
連絡とれませんし
わたしには彼の今の状況を助ける力もないのです

私は考えて考えて出した答えが
「浮気をしてないことを証明する」
でした

彼は今までずっと孤独に一人頑張ってきた人です
たくさんの困難を乗り越えてきた人です
彼はずっとずっとしんどい思いで今まで生きてきました
そんな人が、わたしを本気で愛してくれました
やっと報われたとも言ってくれました
そうして愛を注いだ相手が、たった数ヶ月でいとも簡単に裏切ったとしたら
彼のしてきた今までは一体なんなのか
私は彼から信仰も教わった
そんな私が裏切ったとしたら
彼が自分の経験を経て色々学んできた信仰とは一体なんだったのか

せめて、それだけでも証明するのが彼のために今自分ができることだと思いました


ではどうやって証明するか

「ただ、信じて待つのみ」

なんそれ、待ってて何が証明できるのさ

というのは友達からも言われますとも
でも彼が言ったんです
私がいうことが本当ならいつか会えると
会えるというのは、私が浮気をしてないとわかった時でそうなったら会えるんだと
言ったから
私は待つんです
馬鹿正直に待ってみます

なので「待つのみ」




…あれ、ふりだしに戻った




結局私は待ってたらいいのか

罪悪感とかいつ終わるねんとかいろんな思いを全部含んで待ってたらいいのか
別に苦しんでもいいのか
そして笑ってもいいのか
あってる?あってない?って思いながら進んでったらいいのか
わざわざ苦しまなくてもいいのか
そーゆうことなのか
答えを今出さなくていいのか
そもそも答えなんかないのか




待ってる待ってる言うなら大人しくグダグタ言わんと待っとけ

と言う言葉が聞こえてきそうです
ホントそうです

「信じて待つよ!」と言った日から
弱音ひとつ吐かず
誰にも心配かけず
笑顔で毎日過ごせばいいわけです
誰にも知られる必要もないんです
神様は見ててくれはるわけですから
頑張ってることはちゃんと伝わるわけです
それができたら一番いいんです
それで再会できたならなんと健気なことでしょうか
まさに映画化できそうな程、ひたむきな恋じゃないですか


でも、そんなに簡単にいかないのが人です
カッコ悪いのが人です
弱音も吐きたくなるのも人です
映画やドラマのように簡単にはいきません
だから思うままに書きます
かっこ悪くても書きます
かっこ悪くてもまた友達に電話します
またおんなじことを言うでしょう
そしてまた怒られるでしょう
それを繰り返すんでしょう
現実は物語よりも、泥臭くてかっこがつかなくて人間臭いもんです

そして前に少しずつでも進めたらいい
おんなじことの繰り返しの中でも
すこしでも前より成長できていればいい

おんなじ話を聞く友達には悪いですが
そうやって最後に進めたらいいんです



友達が言いかけた言葉はなんだったのか
でもきっと今日のブログをみて
「おっ、がんばっとるな」
と思ってくれるでしょう

彼は私を選んでくれたのだから
私らしく、待ってます
そのままでいます
何があっても進もうとする姿勢の
そのままで








ランキングサイトに登録しています
ポチっとしてくれると食欲がでます

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村